ABOUT -shourimaki-
勝利巻きの軌跡
1984
学生時代編
PL学園の輝き
勝利巻きと逆転の精神
私は高校時代、PL学園高等学校の硬式野球部に所属していました。甲子園常連校だったPL学園の日々の練習は、日本一過酷を極めており、疲労骨折なんて日常茶飯事。日本一になる為に、血の滲む努力をチーム全員が一丸となって行っていました。
私が主将を務めていた三年の時、一つ下の学年にはあの清原桑田のKKコンビが居り、「勝って当たり前」という世間の評判に違わぬ様、そして、チームを勝たせられる様、より一層、練習に励んでいたのを覚えています。
それでも大事な試合が近づくと緊張して、不安に押し潰されそうになる事もありました。ですが、試合の度に父が振舞う勝利巻きがチーム全員の心の支えとなり、自信をもって試合に挑むことが出来ました。
1989
日本シリーズ編
勝利へ巻き返した奇跡
勝利巻きが生まれた日
1989年に大阪の藤井寺でプロ野球日本シリーズが開催されました。日本一を争っていたのは、読売ジャイアンツ(以下、巨人)と近鉄バファローズ(現在のオリックスバファローズ)でした。先に4勝した方が日本一となります。
巨人には、私の先輩後輩が在籍していたのですが、初戦から立て続けに3連敗の絶体絶命。
そんな状況の中、私の後輩がピッチャーとして投げると言う事で、何とか勝って欲しいと、密かに看板商品だった山菜巻をチームに差し入れをしてたのです。
私達の願いが通じたのか、先輩も大活躍!後輩は6回1失点好投し、チームの勝利に貢献しました。
翌日、巨人の監督さんがチームマネージャーに「昨日の寿司は無いのか?直ぐ注文してくれ」と指示があり父に注文の連絡がありました。
すると、次々と試合に勝利し、大逆転の末に日本シリーズ制覇達成。
監督さんから「是非祝勝会に来て下さい」と招いて頂き、招待された父は、祝勝会にも山菜巻を持って行きお祝いしたところ、監督さんが本当に喜んで頂き、そこで有難いことに山菜巻き・山菜ちらしを「勝利巻き・勝利ちらし」と命名して頂きました。
1989~2003
PL学園コーチ/指導者時代編
勝利の方程式
勝利巻きとともに育む不屈の心
コーチ時代の私の指導は、技術面は勿論ですが、特に逆境でも負けない強い精神面を主に指導してきました。もちろん、試合がある時には勝利巻きと勝利ちらしを差し入れしてチームを鼓舞し、勝利のゲン担ぎを行っています。
今でも、プロになった教え子や社会人の教え子達が足繫く
お店に通ってくれて、勝利巻きを食べながら昔の話をしてくれる。そんな楽しい時間を過ごす事が至福のひとときです。
後輩、教え子達、そして私も人生山あり谷ありですが、勝利の方程式を食べ、「負けへんで!」という強い気持ちで本日も頑張っています。
当時のPL学園は「逆転のPL」と呼ばれるほど、逆境に打ち勝つ事が多かったのですが、もしかしたら勝利巻きのおかげかなと今になって思います。
2004~現在
ふじ清寿司2代目編
ふじ清寿司と
勝利の味の伝統
私は学生時代を野球一筋で過ごしていましたが、将来の夢はプロ野球選手ではありませんでした。
小さい時からずっと変わらず、父が営むふじ清(寿司屋)を継ぐ事が夢でした。
ふじ清は地域の皆様のご愛顧を受け、ありがたい事に創業から50年以上の歴史があります。
勝利巻き・勝利ちらしを食べたお客様から「元気が出る」「やる気が漲る」とありがたい言葉を頂戴する時が、至福のひと時であり、私の方が元気もやる気も頂くばかりです。
私の人生と共に歩んだこの勝利巻きを日本中の皆様にお届けするべく、この度、監修として携わらせて頂けます事、心より嬉しく思っております。これから何かに挑戦する皆様に、是非、ご賞味頂けましたら幸いです。
「何かやりたい事、夢中になれるものが見つかった時、あなたは既に勝利者です」
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商品紹介
-shourimaki-
勝利巻き
歴史を変えた寿司、勝利の味わいをあなたに
-shourichirashi-
勝利ちらし
味わい深く、
伝説を紡ぐ山菜の力